武将列伝
相神浦家
松浦丹後守盛 |
(?〜?) |
松浦丹後守親の子。有馬家からの養子(親の娘婿) 有馬仙厳の四男 少弐家の衰退に伴い鎮を廃嫡した後、有田家より養子を迎え家の安泰を計る。 しかし、有馬家においても有馬仙厳の死後は勢力が衰え、援軍を出せる状態ではなくなり孤立していく。 1563年籠城中の飯盛山城を退去し有馬家に援軍を依頼に出るが、すでに仙厳もおらず結局飯盛山城には戻らなかった。 飯盛山城落城後に現れ所領をせがみ有田唐船城を有する。 松浦丹後守盛を称す。 その後、広田城攻防戦において飯盛山城が不在になったところを狙い攻め込むが、家老山本右京の内通により敗退。 元々どちらも相神浦松浦氏の旧臣だったため、肉親同士が相打つ壮絶な戦になった。 この相当原合戦において討ち取られたとも、1576年に龍造寺隆信に唐船城を攻められた際に病死、1577年に龍造寺隆信に降伏し1594年に病死したとゆうものなどがある。 |