武将列伝
平戸松浦家

  松浦興信(平戸興信)(高齢) 
(?〜1541)(1515−1541) 
峯昌(志佐純元)の長男 箕坪合戦後に弘定に子がなかった為養子として入る。
周防山口の大内義興の名をとり興信と称した。

 大内家の上洛命令に伴って、京へ帯同するもその隙に相神浦松浦氏により相神浦等を奪われる。
しかし、鷹島、今福等着々と奪い返し、その後も相神浦松浦氏に対し圧力をかけ続けるが、当時はまだ少弐家の勢力が強大で大規模な攻勢はできなかった。
 その後、周辺地域へ常に圧力をかけ続け、江迎、佐々は興信の時代にはほぼ勢力下に入っている。
  また、中国人和冦王直などとの中国人商人等との交易を行い、大名化への基礎を作った。 
 兄弟        興信(弘定養子)
     第1弟  純次(志佐家養子 直谷城主 志佐壱岐守源次郎純次 宗舜)
     第2弟  純忠(深江家養子 江迎城主 深江阿房守純忠 )
     第3弟  桃井兵庫助→佐川美濃守純昌
     第4弟  定治(世知原百枝養子 世知原定治)
     第5弟  稠(佐々拵養子)(早世)
個人的評価

父が弘定、子が隆信とちょっと地味ではありますが・・・。
ただし、、弘定が広げた版図を着実に領地化するなど、その後の基礎を作ったのは事実。
 また、中国人和冦王直などとの中国人商人等との交易を行い、南蛮貿易の基礎を作った。



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