武将列伝
相神浦家
松浦丹後守政 |
(1477〜1498) |
松浦丹後守定の子であり1492年に家督を継ぐ。当時15歳。 定の時代に佐世保大智庵城を築き、根拠とする。 峯昌による有馬家の箕坪城攻めに参加。弘定の恨みを買う。 1498年、平戸弘定による夜襲に加え家臣の裏切りにより大智庵城は落城。 政も脱出を計るが、討たれてしまう。 妻と子の幸松丸はその後平戸家に幽閉される。 墓は現在大智庵城の本丸にあり、ひっそりと祀られている。 |
兄弟 第1弟 佐世保源三郎丹後守諫 |
個人的評価 ・親の父親で討たれたときは二十歳前後。 さすがに若すぎたのか、箕坪城合戦後の平戸松浦家を過小に評価し、逆に滅亡を繰り返す少弐家を過大評価してしまった。 また、本人の素質に問題もあったのか下級家臣と諍いを起こし、謀反の発端を作ってしまう。 定が、あと10〜20年生きていれば、滅亡しなくても良かったのかも知れない。 また、政には弟が居たが(佐世保諫)平戸家と血縁関係があったからか、その後数十年存続している。 |