武将列伝
平戸松浦家
松浦久信(泰岳) |
(1571〜1602)(1601−1602) |
平戸鎮信の長男 朝鮮出兵に際し父と共に21才で出陣。その後もの慶長の役も参加し二度に渡り武功をたてる。 関ヶ原では西軍に付き伏見城攻めと伊勢安濃津城攻めに参加するも、去就会議の結果松浦家は東軍に付くことになり離脱。 東軍に属したため所領を安堵されるが、慶長七年(1602)八月二九日、江戸への参府の途中急死。 あまりにも早すぎる死に父鎮信は怒り狂い、平癒の祈祷を行った僧を切って捨て、平戸から仏僧がいなくなったほどとの逸話がある。 一説には、一時西軍に付いていた松浦家に対し断絶を狙った暗殺説もあるほどであり、また、この件があり、幕府を恐れ鎮信は城を焼くに至ったのかもしれない。 |
兄弟 久信(鎮信実子) 第1弟 信正(西口松浦家祖 蔵人 松浦蔵人信正) 女 日高信喜 妻 女 後藤広明 妻 女 西郷純成 妻 女 桃野太郎右衛門 妻 女 日高信喜 妻 女 南総右衛門 妻 |