武将列伝
平戸松浦家(籠手田家)

  籠手田栄(安一)
(1553〜?)
籠手田安経の嫡子

 天正8年(1582年)父、籠手田安経の跡を引き継いだが、籠手田栄には父程の権力はなく、平戸松浦市の松浦隆信のキリスト教嫌いも相まって生月島におけるキリスト教保護も一時期程の力がなくなっていった。
慶長4年(1599年)松浦信実の諌言にあって肥後に追放された。
   また、その後、筑前国を治める黒田長政に船手衆として仕え、命を受けて現在も宗像大社の聖域とされていた沖ノ島に上陸し、多くの神宝を持ち帰ったという記録があり、その後、長崎に戻り、慶長19年(1614)に稲佐で病死した。 
 



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