武将列伝
相神浦家

北野源蔵直勝
(?〜?)
相神浦家飯盛山城に籠城する。
松尾与三郎、丸田源蔵と並んで強弓の名手として高名。
1563年の平戸家による飯盛山城攻めの際、山の中腹から平戸の軍船めがけ矢を放ち、二町を越え船の目印に命中。さらに続け、武者二人を串刺しにし、船の船神様も射抜いた。
その後も半坂合戦等でもその弓の名手ぶりを発揮し活躍。
平戸隆信の婿の奈留三郎左衛門を弓で討つ。
1567年平戸家の飯盛山城攻めにおいて鉄砲隊の一斉射撃により討ち死にしている。
 

 相神浦随一の弓の名人 北野源蔵

 平戸松浦家と相神浦松浦家との戦いの中でひときわ目立つのが、松浦親と東時忠の勇戦と北野源蔵の弓での活躍である。
 相浦の沖にいた平戸方の軍船の軍神を射抜き平戸隆信を激怒させ、さらには、半坂〜中里の合戦で奈留奈留三郎左衛門を討つなど、その力を存分に示している。
 平戸家が、ポルトガルとの交易で手に入れた当時日本としても最先端の鉄砲や大砲を駆使している中、旧時代的なものでもある弓で活躍していることは非常に対照的である。

 しかし、やはり弓の限界か永禄十年(1567年)における相神浦攻めにおいて、平戸方の鉄砲の集中射撃により討たれている。


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