武将列伝
平戸松浦家(一部家)
一部勘解由 |
(?〜?) |
籠手田安昌の子、安経の弟 一部大和守の娘が平戸信賢に嫁いでいたが、一部大和守が相神浦家との戦いで討ち死にすると、信賢に一部家を継がせようとしたが、信賢が二十一歳の若さで急死したため、その未亡人を嫁とし、一部家を継いだ。 その後、同じキリシタンの籠手田安経と共に信仰を続けて行くが、徐々に家中での勢力を削がれていく。 籠手田安経の死後も信仰を続けるが、1599年半ば追放される形で信者と共に出奔。 長崎へ向かうも上陸できず大村へ。 また一部氏は薩摩で客分として迎えられそこで他界したらしい。 |