武将列伝
相神浦家
東甚助時忠 |
(?〜1574) |
相神浦松浦氏の宿将 父尚久は筑前千葉氏の家臣であったが、内紛により相神浦松浦家に亡命する。 1543年以降の平戸家との抗争において子らと共に活躍。 まさに相神浦松浦氏の守護者で、飯盛山城攻防戦や半坂合戦でも寡兵ながら勝ちを収め20年以上に渡る平戸家の攻勢を退ける。 飯盛城落城に伴い、平戸家に降る。 しかしその後、相神浦松浦家を継いだ九郎親との確執があり、誅されようとしたところ逆に親を殺害。その身も討ち取られる。 |
個人的評価 ・相神浦家はどのような家臣がいてどの程度活躍したのか平戸家より明確ではありませんが、北野源蔵直勝と並んで飯盛山城を最期まで支え続けたのは事実といってもいいようです。 元は丹後守親がスカウトしてきた武将なので厚遇はされていたと思うのですが、対平戸家との戦闘において活躍したことから、後半は更にその存在感が増してきているようです。半坂合戦においては、3百騎を率いて城から打って出ていますが、当時の相神浦家の兵力を考えるとその厚遇ぶりが分かります。 なお、最期については九郎親と刺し違えたとの説があり本当かどうか疑問が残るところですが(子?と思われる東五郎秀勝、東四郎秀次らの消息が不明)、平戸家が証拠隠滅に走ったとの話もあり事実であるかも知れません。 |